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昨日は母の日でした。今は目がほとんど見えないから
カーネーションよりも音楽のほうがいいと思って…・
母の日のカーネーションの代わりに
オカリナの花束 シューベルトのアベマリアを吹きました。

最後のおふくろの味

母の日、おふくろの日に寄せて、
私は最後の「おふくろの味」を思い出していました。
母が認知症を発症して
それでも頑張って頑張って一人暮らしして
ある日、夜遅く母のところに寄ったんです。
「しげひろ、おなかすいたやろ」
それで母は
「カレー作ったから、食べていき」
カレーをお皿に盛って出してくれました。
冷たいままのレトルトカレー。

たぶん、お鍋に水を入れて
お湯を沸かしたつもりが
沸かしていなかったんです。
それが熱いのか、冷たいのかもわからなかったんです。

「ジャガイモむいたんやけど
固うてな・・・」
母は頭の中では
手作りでカレーライスを作ってくれたんです。
きっと頭の中では
息子に食べさせて、栄養をつけないといけないと思って
心を込めて作ったんです。

そういえば母は、私が子供のころ、
病気ばっかりしている私のことを心配して、
「滋養つけな」と
肉の生姜煮や、ゆり根の卵とじを作って
食べさせてくれました。

山深い土地に引っ越してからは
黒豆を炊いてくれたり、
小豆で赤飯を作ってくれたりして、
手作りの食事を食べさせてくれました。

そんな母に私は感謝もせず
当たり前のことに感覚が鈍って
いつも母を馬鹿にしたり責めたりしてばかりでした。

母が作ってくれた最後の手作り料理
冷たいままのレトルトカレーだったけど、
「おいしいで、お母ちゃん」と言って食べた。

あの日からすぐ、母は玄関前で倒れ
病院に運び込まれて、一命はとりとめたものの
もう自宅に帰れることはありませんでした。

認知症は日に日に悪化し、
体の機能も衰え

いまは、
目もあけられず
言葉もしゃべれず
食事を口からできません。

私は、高齢者の自立を支援するはずの社会福祉士なのに
自分の母の自立を保てなかったのは
心から情けなく思います。
資格を返上したいとさえ思います。

それでも、
母の老人ホームを訪問して
一方通行でも
「おかあちゃん、どうや?
かぜひいたらあかんで」
と言って
オカリナで演歌を吹いたり
聖歌を吹いたりしています。

母の日の曲「シューベルト アベマリア」

昨日、母の老人ホームに面会に行って、母の手を握って
「恵みあふれる聖マリア(アベマリア)」の祈りをしました。
母が教えてくれた祈りです。
そして母の歌、シューベルトのアベマリアを吹きました。

演歌の好きな母なので、森進一の「おふくろさん」とか
唱歌の「夜なべ」が好きなように見えますが、
実は母が元気な時一番好きなうたは、
とてもハイカラかもしれませんが、
シューベルトのアベ・マリアだったんです。

母はまだ動けたころ、
私がプレゼントしたアベ・マリアのオルゴールを何度も何度も聴いていました。
今は目がほとんど見えないから
カーネーションよりも音楽のほうがいいと思って…・
母の日のカーネーションの代わりに
オカリナの花束 シューベルトのアベマリアを吹きました。

これは以前に作ったシューベルトのアベ・マリアの動画です。
オカリナで3重奏しました。

この動画では、南大阪に工房のある板東正裕さんの颯オカリナ3作で吹いて、
一人三重奏をしました。
颯オカリナ アルトCをメインにして
ソプラノFをハーモニーに、
さらにアクセントハーモニーに、ソプラノCで吹かせていただきました。
テノールでコーラスを歌っているのですが
そのメロディーを覚えていて、ハーモニーにしました。

この歌は、「天使祝詞」という
聖マリアへの祈りを歌にしたもので
イエスを身ごもったマリアに対して、神のメッセージを告げに来た
大天使ガブリエルの言葉から始まります。
通称「めでたし」と呼ばれる祈りです。
子どものころ、母が「めでたし」の祈りを教えてくれました。

これから
いろいろな作曲家の「アベマリア」を
100曲吹くという夢がありますが
その原点は、母が教えてくれた「めでたし」の祈りだと今更気づかされます。

認知症とわかるまでの日々

話は「おふくろの味」に戻ります。

もう食べられなくなってしまってから
母が作ってくれた食事の味を思い出すのは悲しいです。
でも、こうなるまでに段階がありまして、
食事は自分で作れないものの、
知恵はまだある日々もあって、
レストランや買った食事の味にあれこれ言ったり、
私がタケノコ料理の作り方や山菜ごはんの作り方や
母オリジナルの京雑煮の作り方を聞くと
教えてくれたりしていたことがありました。

認知症が進んでも一人暮らしをがんばっていた時は
社会福祉協議会の弁当配達サービスを利用していましたが、
「この味付けは濃すぎる」とか
「もう少しみりん入れたら何とかなるんと違うか」とか
あれこれコメントしていました。

社会福祉協議会では「配食サービス」を提供してくれていて、
ひとり暮らしの高齢者の方のために
お弁当を届けてくれます。
意外と安くて、助かりましたが、
何より助かったのは
配達時に
遠方の家族の代わりに安否を確認してくれて、
何かあったら連絡をくれるし、
玄関先で、優しく会話してくれるし、
気になることがあったらケアマネージャーとも連携してくれることです。

配食サービスの弁当を食べ終わったら、
食器を玄関前に置いた箱に入れて
また次の配達の人が持ち帰るのですが
母は、「そのまま返したら失礼に当たる」と
倒れる前日まで、
認知症が進んで洗剤をつけられなくなる状態になっても、
一生懸命洗っていました。

倒れて、家では生活できなくなって、
病院からも退院を迫られて
転院や老人保健施設を転々として
やっと入ったグループホームではとてもいいケアを受けて
「ここに入居された方は
お世話されるだけではないんです。
たすけあって、知恵を出し合って
暮らしていけたらと思うんです」
とグループホーム長は言ってくれました。

高齢者で介護を必要とする方の多くは
自分で身の回りのことができにくくなるなど
能力が失われている方が多いです。
しかし、
高齢者の方にしかできないことがあります。
昔の知恵
優しい雰囲気
いろんな、数えきれない力があります。

母のお世話になったグループホームでは
入居される人の知恵や、力を大切にし、
良い所、強みをしっかり見て、
対等に接してくださったおかげで
母の自尊心は守られていたなあと思います。

みんなで食材を準備したり、
味付けについてあれこれ言ったりしながら
炊き込みご飯やちらし寿司をつくったりしていました。
水害があった時には
職員の家の無事を心配するなど、
思いやりのある人でしたと聞かされています。

しかし、どんどん認知症も体の機能低下も進み
グループホームでも生活できなくなり
もう一度倒れて一命をとりとめた時には、
もう食事を口からできなくなり、
意識も混濁として現在に至っています。

元気なころは私は、母に対していつも上から目線で
注意したり、きつい言葉を浴びせたりばかりしていましたが、
今になって、もっと親孝行しておけばよかったと悔やまれてなりません。

どんなに認知症が進行しても、プライドは守りたい

認知症かどうかわからない時が、とても苦しく、
ひとり暮らしで、買い物に行って帰れなくなったり
卵を買ったら、冷蔵庫に入れたつもりがタンスの中に入れており
家の中が臭かったりで
私も何をどうしたらいいかわからなかった。
もう限界なので
「ヘルパーに来てもろうたらどうや、
みんな優しいで」というと
「その、優しいのかかなわんのや。
侮られて優しうしてもらうのは、困る。」と
何年も介護サービスを拒否していました。

思えば母の言っていたことは、真理を鋭く突いています。
私も社会福祉士の仕事をしている中で
「これではいけない」とハッとすることがあります。

利用者に優しくする、親切にする、
しかし、この優しさや笑顔が
「上から目線の優しさや笑顔」になっていないか。
本来あって当然の「恐れ入りますが」の心がどこかに行ってしまい、
相手の方の心の中に土足で
ずかずか踏み込んで優しく接しているのではないか。
母はこうした上から目線の「優しさ」に敏感だったのかもしれません。

私自身も、母が本当に認知症になってから優しく親孝行をするように努めましたが
これも上から目線の優しさなのかもしれません。

老人ホームで出会った利用者の方がこんなことを言っていました。
「ニコニコした能面を被ったお化けの中で
何を言ってもニコニコされて
牢獄に入れられとるんやで」
と。
この言葉にもハッとしました。

どんなに認知症が進行しても
支援する人と、支援を受ける人は
人間として対等です。

このことを絶対に忘れないように
この原点を忘れないようにしたいです。

介護家族は自分を責めないようにしたいものだ

認知症。
辛いですが、自分自身気づかせていただくこと、多いですね。
これまで母につらく当たってきた自分を責めることもしばしばあります。
私は本当に罪深いと思います。

しかし「罪深い」ということは
「気づいて育つ喜びがいっぱいある」
と誰かから言ってもらったことがあります。

自分の非を責めて、過去にくよくよする事でなく、
気づいて、改めて、育つことこそ、みんなの幸せにつながるんだろうなと思います。

でも私のように、後から気づくより、
一瞬一瞬気づけたらもっといいなと思います。

認知症は、忘れてしまったり記憶がなくなるとみんなは思っていますが、
ちがいます。
記憶はなくならないんだと感じます。
一瞬一瞬の記憶は、もっと鮮明なんですね。
だから
そのとき、大切にしてもらった思い
尊重して接してもらった思いは
その一瞬一瞬の記憶に残り、
長期の記憶でも、出来事は忘れても
「感じ」「ニュアンス」ははっきり残ると思います。
それに、
頭脳の記憶力が衰えたからこそ、
天の国で神様の記憶の中にしっかり記憶されるんだと思います。
「私は覚えている。
私が寂しいとき、いっしょに寄り添ってくれた。
私が喉が渇いた時、
飲み物をくれた。」
と神様はおっしゃるんだと思うんです。

「親孝行」と気張らずに、
普通に素直に接していけたらいいと思います。
母が重度の状態になった今
お互いにしゃべれるときに、もっと楽しく会話できればよかったなと思います。
でも、まだ遅くないとも思っています。
一方通行でも、話しかけたり、
面会に行けるときは寄り添ったりしたいと思います。

どんなに重度の状態にあっても
母の、自分らしいプライドを、守っていきたいと思います。

私のこの記事は
失敗談ばかりですが
介護で悩んでいる方の何かの気づきになれば
幸いに思います。

後悔するのではなく
幸せで誇りのあるこれからのために。