Pocket

この記事は、あなたの人生を変える力があると私は確信しています。単なる闘病記ではありません。おひな祭りの朝に天国に上がっていった9歳の少年の話は、ただかわいそうな話ではなく、生きる力、生きる思考、より豊かに生きるための気づきをくれることでしょう。オカリナの吹き方を書いていません。ビジネスの成功の仕方を書いていません。しかし、こういうことの根本からあなたを変える力があるでしょう。長い記事ですが、ぜひ読破してほしい。自信を持って勧める記事です。

ひな人形 それはいのちのかたち

おひなさま、おひなさま、
あなたたちは
いつも祝ってくれる。

生きて 生きて、生きてつらぬいた、

そんないのちに

あなたがたは
祝いの音色を奏でてくれる。

おひなさま、おひなさま、
あなたたちは、
いつも伝えてくれる。

心配しないで。
悲しまないで。
何千年も、何万年も
変わらないものがあるのよ。

無くならないものがあるのよって、

お雛様は、
みやびな姿で、語りかけてくれる。

だから僕はもう泣かないよ。
もう
生きてるのが嫌だって、なるべく思わないよ。

でも
時々そう思った時

おひなさま、
あなた方のみやびな姿を思い出す。

何千年も、何万年も
変わらないものがあるのよ。

無くならないものがあるのよって。

そして
無くならないもの

それは
いのち。

この
いのち。

だから僕は生きるんだ。

どんな姿になっていても

生きて

生きて

生きて

生きて

生きて

生きて

生きまくるんだ。

「雛人形の涙~古代出雲笛創作曲」

 

この演奏動画は

熊本の作家 高場俊郎さんの作品 古代出雲笛で

全く即興創作で演奏しました。

雛人形が魂に会話するままに。

古代出雲笛は

打出の小槌の形をしています。

きっと、

出雲の国の栄えていた姿に思いをはせ、

小槌から幸せや豊かさがたくさん打ち出されるように

祈りを込めて作られたのだと思います。

とてもまろやかな、和める音色です。

この演奏には詩を作りましたが、
即興の音楽と詩が乗らず、そのまま詩として
ここに載せます。
こんな詩です。

「おひなさまの涙

お雛様、お雛様
あなたは
子どもの涙を身代わりに受けて
子どもの代わりに泣く。

そんなお雛様にも身代わりになれない涙がある。
その子には
その子にしか流せない涙がある。

そのことが
お雛様の本当の悲しみ。
本当の涙。

代わりに泣けないけれど
一緒に泣くことならできる。

それが
お雛様の本当の涙。

それではこの即興演奏が出てきた私の気持ち、

少し長くなりますがお付き合いください。

ひな祭りの前日の院内学級で

いつも3月2日がきたら

思い出すんだ。

ひな祭りの朝、天国に召されていった

9歳のきみのこと。

酸素ボンベで「グッド イングリッシュ」

3月2日、いつもの院内学級。

きみは、みんなと勉強したいと言って、

酸素ボンベとバイタルモニターをつけて
ベッドを動かしてもらって通学した。

ふつうは個室安静の状態の中、
主治医が特別に許可してくれた。

その日は、英語の特別授業で

イギリス人の先生が来ていた。

「何か英語を言える子、手をあげて」

やりたがりのきみは、酸素マスクしながら手を挙げた。

(きみ、クリスマス会の時も
司会を立候補して、
見事にやってたもんね!)

何か英語を言えるかな?

きみは、酸素マスクの奥から「ヘイ」といった。

みんなを笑わせた。

「グッド イングリッシュ!」先生に褒められた。

きみは、冗談言ってみんなを笑わせるのが大好きだったね。

カードゲーム選手権 連続優勝!

放課後、

みんなでウノやトランプの大会をした。

今までなかなか勝てなかったもんね。

今度は勝つぞ。

もう手が動かせなかったから、

私がカードを持ったが、

何を出すかは、きみはしっかり私に指示した。

それで、7人くらいいたメンバーの中で

きみが優勝したじゃないか。

それも2回も。

おひな様見せて

夕方、病室に戻ったが、お雛様を見たいときみは言った。

病室に戻る前に

プレイルームに一緒に行ったね。

つぶらな目で、きみはお雛様をじっと見ていた。

「さあ、疲れるから病室に戻ろうか」

私が言うと、きみは泣きそうになった。

「本、読んで」ときみは、せがむ。

プレイルームにあった絵本を何冊か読み聞かせた。

「手を握って」と泣きそうにせがむ。

じっときみの手を握った。

病室に戻るとき、きみは

振り返ってじーっとおひな様、見てたね。

生きて生きて生き抜いた夜

ごちそう

夕食。

いつもと違うごちそう。

これまで、食べたいのに食べられなかった

きみの大好きなマグロのおつくりが出た。

うれしそうに口に運ぶ。

でも、すぐしんどくなってこれ以上食べられない。

食べたいのに食べられなくて、きみは泣きそうだった。

こともあろうに、

私は「もうこれくらいにしておこうか」と言ってしまった。

「もうこれぐらい・・・

もうこれぐらい・・・・」

きみは涙を流して言っていたが

私の心ない一言で、ごちそうの時間が終わった。

どうしたら楽ちんになれるの

消灯。

ベッドの姿勢が、どんなに変えても苦しい。

ギャッチしたり寝かせたり。

きみはとぎれとぎれに言う。

「起こして」「ハイ、止めて」「寝かせて」

繰り返しギャッチの角度を変えた。

酸素マスクが外れそうになったら苦しくて、

ほっぺにぴったりくっつくように押さえた。

あざができるほど。

きみは、生きたいんだ。

わかる。

生きたいんだよな。

生きられますように

何か月か前、まだ外に出られた時だ。

私はきみを教会に連れて行った。

静かな教会で

「なんでもいいから、祈ってみ」とわたしは言った。

きっと、何かのおもちゃやゲームを買ってほしいと祈るだろうと思っていた。

そう祈ったら買ってやろうと思っていた。

そうしたら、きみはこう祈った。

「生きられますように」

こんなに小さな子が、ここまで思っていたのか。

私は心を痛めた。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

走りぬいた夜

3月2日の深夜

きみは必死で呼吸した。

マラソン選手よりも、アスリートよりも、

必死で

命がけで呼吸した。

呼吸して、呼吸して

心臓を動かして、動かして、

ひな祭りの早朝

いつしか、モニターの波がツーっと平坦であることに気づいた時、

きみは息をしていなかった。

溺れるように生きて生きて、息をし続けたきみが。

その後のことはあまり覚えていない。

「6時5分。臨終を確認しました」

眉間にしわを寄せて悔しそうに言った主治医の声。

きみは、まるで溺れたように、必死で口を開けた表情だった。

「ウソだろう???」

涙を流すのを忘れていた私。

「奇跡の一つくらい起こってくれ!」

奇跡

最期のプレゼント

奇跡は起こった。

命がよみがえったわけではない。

溺れるように苦しそうだったきみの表情が

気が付けば、

天使のようにかわいらしく微笑んでいたんだ。

きみが、いのちの終わった後に、私にくれた

最後のプレゼント。

本当にかわいらしい笑顔になっていた。

これを奇跡と言わずにどう表現するの?

命を、自分のいのちを

大切に大切に生きたきみへの

神様からの表彰に違いない。

懐かしい学校に着いたよ

病院を後にして

運搬車は家に向かった。

白い布に包まれたきみが、

中から「学校に寄って」と言ったような気がした。

退院していた時に少しだけ通えていた地域の学校。

きみはこの学校でみんなといるのが大好きだった。

静かな春の夕方、

放課後の学校に運搬車が止まる。

私はきみの白い布から少し君の顔を出して、語り掛けた。

「帰って来たぞ。

学校やぞ。」

きみの顔は微笑んでいた。

うれしそうだった。

「やっと帰ってこれたなあ」

みんなに勇気と笑いを

きみは、ただ苦しかっただけの子じゃなかったよ。

折り紙が好きで、無菌室を作品のギャラリーにしたね。

もう余命1か月と言われていたころ、

2回も開催できた折り紙展。

多くの人に勇気を運んだ。

きみの作品を見て、

送ってきてくれた女の子の手紙、覚えてるかい?

同じ病気で頑張ってて、きみの折り紙みて、

私も好きなことするよって言ってたじゃないか。

ギャグが大好きで、ポケモンのロケット団のずっこけブリが大好きで

亡くなる前日も冗談を言って笑わせてくれたね。

ホンマにきみは、おもろいやつだ。

亡くなる3か月前の検査結果では、

もう、歩けたり話せたりすること自体奇跡で、

普通の痛み止めでは無理だろうといわれていたが、

不思議に苦しみが少なく、痛みもなく

病室を渡り歩いて、ゲームボーイのケーブル対戦をした。

「こんな状況なのに、これは説明がつかない」と主治医。

この子が自分らしく過ごせるようにと、

わたしの祈りが聞き届けられた奇跡だったのかもしれない。

きみは、周りの多くの人に笑いをくれた。

勇気をくれた。

努力してそうしていたのじゃなく、

きみ自身が勇気で、笑いだった。

天然お笑い坊ちゃんだった。(天国で怒ってんなよ!)

だから私は今もみんなに言っている。

こうして、きみたちがいること、

いてくれること、これが愛だよと。

白血病と戦って

ここで「きみ」と書いた子。

急性リンパ性白血病を6歳で発病して、9歳で天国に行った男の子です。

当時7割の子が化学療法で寛解する(つまり、再発さえしなければ治る)と言われていたのに、

彼は治療中に再発して、骨髄移植しか生きる道がなくなります。

しかし、骨髄移植のドナーには実の親もなれないのです。

兄弟または他人で、骨髄の型の合う人からしか受けられない。

臍帯血幹細胞移植

彼は、骨髄移植を受けるために、大きな大学病院に転院します。

そこの病院は、まだ制度にはなっていませんでしたが「臍帯血バンク」を試行していて

(つまり、赤ちゃんのおへその緒に含まれる血液の中に、血をつくる細胞があるので

それを保存しておくのです。)

その「臍帯血バンク」から提供を受けて、無菌室での

骨髄移植をすることになりました。

無菌室での骨髄移植で助かるのかといっても

そこは大変苦しい場です。

ひじょうに強い抗がん剤を使って骨髄の中の細胞を空っぽにして、

そこに新しい移植細胞を入れるのです。

どれだけリスクがあって、本人も苦しいのかはここでは書けません。

本当なら彼を抱きしめたい。

辛いだろう、苦しいだろうとなでてやりたい。

しかしそれができないんです。

ガラス越しにしか見られないんです。

無菌室で続けた作家活動

それでもガラス越しに彼は私におねだりしてきました。

「今度は、桃谷好英の書いた折り紙の本を入れてえや。

折り紙も30枚以上は入れてくれへんと困るでえ。」

無菌室に物を持ち込むには、

何日か前に預けて本の1ページ1ページを滅菌します。


(桃谷好英先生の折り紙の教本は

折り紙で街をつくったり物語を創ったりと、

とってもストーリー性豊かですが、とにかく大人でも難しい!

写真の本は桃谷好英さんの著書で『おりがみ遊園地』
画像引用:https://www.amazon.co.jp)

そんな作業を経て、無菌室でせっせと桃谷先生の作品を折る彼。

「次は布施知子の本を入れてえや」

ねだる彼。

布施智子先生は、立体造形の折り紙のアイデアを世に出している有名な先生です。


(長野にアトリエを構える布施知子先生の折り紙の教本は

折り紙というより立体オブジェであり、

3次元的センスが豊かにあればより面白くなるものです。

私なんかわからなくて悩みましたが、あの子は組み合わせたりして応用していました。

写真の本は布施知子さんの著書で『おりがみで作るオーナメント』
画像引用:https://www.amazon.co.jp)

彼は、布施智子先生の本を開けるや、

無菌室の中で、何十作も複雑な立体造形を作り上げました。

彼は子供ながら、研究熱心でした。

そして無菌室はいつしか彼の折り紙ギャラリーになりました。

短かったけど面白かった日々

そして無菌室での戦いを戦い抜き、彼は無事に普通の病室に帰ってきました。

やがて退院して維持療法で通院治療になり、

地域の学校にも通えるようになりました。

学校では彼を待ってくれていた先生や友達、みんな暖かくて、

彼は本当に生き生きしていました。

温泉にも連れていきました。

髪の毛が少しずつ生えてきて、野球少年のように自然な頭になった顔を鏡で見て

「は~あ、ようがんばった。」と自分をほめていた彼。

そんな姿に私も「ホンマ、ようがんばったのう」と爆笑したものです。

移植後再発を告げられて

しかしその喜びは1年も続きませんでした。

「移植後再発」そう告げられたのは、忘れもしない夏。

しかも「フィラデルフィア染色体陽性再発」これは、

何の治療法もないことを意味していました。

「もってあと3か月でしょう」

私の耳には、この言葉は雑音にしか聞こえませんでした。

メイクアウィッシュオブジャパン~「難病の子の夢をかなえる」支援を受けて

私が病院のソーシャルワーカーの紹介で

難病の子供の夢をかなえるボランティア

「メイクアウィッシュオブジャパン」を知ったのはそんなときでした。

彼には夢がありました。

折り紙の名人になって、いろいろな人に折り紙の夢を伝えられるお医者さんになること。

「夢。

これからも生きて

勉強して

ぼくみたいに病気でくるしい子供を助けること。

折り紙も教えてあげること。」

「生きて行く夢」をかなえてほしい

私は、さっそくメイクアウィッシュオブジャパンに電話しました。

ここで私ははっきり言いました。

「余命が短いからと言われて頼んでいるのではありません。

彼は助かります。

そしてこれから大人になって、夢に向かってしっかり歩いてほしい。

だからメイクアウィッシュにその後押しをしてほしいんです。」

これは私が本気で言っていたことです。

医師は絶望的なことを告げた。

しかし、いろいろな本には、医師に告げられても、様々な医学以外の取り組みで、成人後も元気にしている事例がある。

だから私はあらゆる取り組みをして必ず彼を死から守る。

そう思っていたので

本気にこう言ったのです。

メイクアウィッシュの事務局長も

「私たちのボランティアは、生きる力を応援するためのものです」

とはっきりおっしゃってくださいました。

今思えば、支援を受けたのは、3月に天国にあがる前の12月のことでした。

メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパンとは

この「メイク・ア・ウイッシュ・オブ・ジャパン」

いろいろなスポンサーの援助を受け、

難病の子供の夢をかなえている団体です。

ハワイへ行ってイルカと泳いだ子ども


(画像引用:MAKE A WISH公式サイト http://www.imagene.jp/npo/mawj/mawj.html)

遊園地を借り切って、ウルトラマンと一緒に怪獣をやっつけた子ども、

長年のあこがれのミュージシャンから個別にコンサートしてもらった子供・・・


(画像引用:MAKE A WISH公式サイト http://www.imagene.jp/npo/mawj/mawj.html)

動画を見ていただければ、活動の内容がよくわかると思います。

(動画引用:メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン CMメイキングインタビュー「夢の実現が僕の人生を変えた」より)

そんな中で彼が願った夢は、

将来折り紙作家になるために

今、本を通じて学んでいる、尊敬している有名作家に来てもらって

直接指導を受けることでした。

特に、桃谷好英先生の本は難解で、あちこちに質問がありました。

(と言っても彼は、読んでわからないところは自分で作って、折り進めていました。)

夢は、その道中(プロセス)ですでにかなっている

夢をかなえる支援を受けるにあたり、

その夢をかなえる前に、

メイク・ア・ウイッシュ・オブ・ジャパンの事務局の人が

病院に訪問し、主治医の意見を聞き、

また本人に直接会います。

彼のもとにも、事務局の方々が事前に会いに来てくれました。

実はこの時からもうすでに夢がかなっていたのです。

というのは

事務局の皆さんは、彼の折り紙を折っている姿を見て

優しく絶賛してくださったんです。

それに彼はものすごく喜んで

「これ、トキエンさんの箱や」と

イタリアの重ね箱の折り方や

「桑名の千羽鶴」の折り方などを

得意げに説明し、披露していました。

折るたびに歓声と拍手、

事務局の皆さんはとても優しく、楽しかったんです。

一緒にいてくれること、

見守ってくれていること、

見てくれること

このこと自体が、彼の夢をかなえていたんです。

その日、彼は、ものすごく喜んで

事務局の方が帰られた後も、私にいろいろ説明をし、

その夜、微笑みながらすやすや眠ることができました。

この一日を通じ、

夢というものは

結果や、かなえられた日のことだけじゃない、

夢に向かっている

その道程(プロセス)自体が

すでに夢がかなえられている姿なんだとつくづく感じました。

憧れの折り紙作家の先生に会えた日

夢をかなえる日

ちょうど、病院のロビーで彼の折り紙作品展をしているところでした。

そこにあ以前から書籍を通じて学んでいた桃谷好英先生が来てくださいました。

「素晴らしい、独特の世界が出来上がっている」と絶賛してくださり、

病室で彼は、先生に、本ではわかりにくかったところなどを熱心に質問していました。

先生は、

「これから、自分で作品を作ってみなさい。

本はマスターしているから、

今度は創作にチャレンジしてみなさい」

と助言くださりました。

同じ日、

日本折り紙協会の先生も来てくださって

折り紙検定2級の称号もいただきました。

なぜ1級じゃなかったのかというと

これから病気が治って

さらに学んで

1級を目指してほしいという

みんなの願いからでした。

その日の夜、彼はとてもうれしそうにすやすや寝ることができました。

それはそれは、可愛い顔でした。

その日の夜の出来事は、

最近出版された本

大野寿子著『メイク・ア・ウィッシュ 夢の実現が人生を変えた』KADOKAWA

の101ページに記載されました。


(本の写真 画像引用:https://www.amazon.co.jp)

アーチスト・パートナーとして

夢をかなえてもらった喜びもあり、

さらに目的と希望が湧いてきたこともあったのでしょう、

彼は、検査結果が非常に悪いにもかかわらず、

楽しみに楽しんで折り紙を続け、

ベッド周囲は折り紙の遊園地になってしまいました。

「こんどは、街をつくるんや。

電車も走らせて、車も走らすで。

遊園地も作って、病気とかつらいことがない

天国の街をつくるんや。」

彼は目をキラキラ輝かせて折っていました。

「来年は、公園いっぱいに折り紙の電車を走らせよ」こう言っていました。

そしてもう一度、折り紙展覧会を病院のロビーで行いました。

そんな毎日を見ていた病院スタッフが、もう一度

メイク・ア・ウイッシュ・オブ・ジャパンに連絡。

そして

もう一人彼があこがれてやまなかった折り紙作家の先生、

布施知子先生が来てくださったんです。

布施先生は、彼と作品を見るなり、こういわれました。

「きみは生徒さんじゃないよ。

同じ作家として、友人だよ。

アーチストとして、素晴らしいパートナーだよ」

本当にうれしい言葉。

彼は、ちょこんとした小さな可愛い口で、微笑んでいました。

彼は布施先生に、恥ずかしそうに語りました。

「ぼくねえ、勉強して、お医者さんになりたいんや。

折り紙もいっぱい折って、僕みたいに病気で苦しんでる子に折り紙の楽しみを教えたいんや」

布施先生は彼の余命のことを聞かされていなかったのでしょう。

先生はにっこり笑って、

「作家友人として、一緒に折っていきましょうね」と言ってくださいました。

でも布施知子先生が来てくださった1か月後、

彼は天国に上がりました。

しかし私は思います。

彼は、

はたして

死んだのでしょうか?

生きるってことは、愛だよ

いいえ。

彼は死んだのではありません。

生きたんです。

生きて、生きて、

生き抜いたんです。

これまで、治療で苦しいことが何度もあった。

背骨や骨盤にものすごい激痛の走るルンバールとマルク。

生死の境を乗り越えた無菌室での骨髄移植。

でも

生きたくないと一度も思ったことがありませんでした。

生きたいと思い続けました。

彼を思うと、私は、苦しみを「苦しい」なんか言いたくないんです。

生きる命を、いのちいっぱい大切にしたいんです。

こころから、そう思うのです。

彼の前では、一切の偽りも、ごまかしも効かないんですよ。

私は知っているんです。

天国は実在します。

それは天の高くにあるのではありません。

この世とは違う、あの世にあるのでもありません。

私たちのこの空間に重なって存在しているというとご理解いただけるでしょうか?

頭では難解でも、きっと生きる実践の中で理解できると思います。

天国、すなわち、「永遠の喜びの生」は

生きて、生きて、いのちを大切に生きている、今生きている、

そのいのちの延長にあるんです。

この文章を読んでくれた人たちに心から伝えたい。

自分のいのちを

これからも

大切に、大切に、

スープの一滴までなめ回すように生きてください。

私からのお願いです。

「生きるってことは、愛だよ。」