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今年もひな祭り、桃の節句が近づいてきました。

雛人形の飾りつけと片付けを担当して12年余りが過ぎました。
私は女の子を育てたことがないのでお雛様のことはわからないまま
取説を見ながらぎこちなく飾り続けてきましたが、
ここ10数年間、いわれを調べたりしている中で今ではすっかり詳しくなりました。
この記事では、ひな祭りや雛人形のことについて、詳しくまとめたいと思います。

「ひな祭り~オカリナ変奏曲」
オカリナで一人二重奏しました。

ひな人形を飾る季節によせて

今年もひな祭りが近づいてきました。
ショッピングセンターなどでは「ひな祭り」の歌が流れています。

「今年もそろそろひな人形を飾るときだな」私は思います。
子どもの施設のひな人形の飾りつけ・片付け係を任されて
もう10年になります。

人形師が心を込めて魂を入れて作った人形たち、
ご先祖様に接するのと同じ気持ちで飾らせていただいてきました。

そして片付けるときは
お人形様一人一人に感謝を言って
また、子どもたちの夢を言って、
来年もよろしくお願いしますと祈りながら
防虫剤を入れて箱に丁寧にしまいます。

それにしても、7段飾りのなかで繰り広げられる優雅な景色。
この人形たちの歴史には何があり、どんなことを思っているのか…
そんなことを10年かけて調べたり、
人に聞いたり学んだりしたことをこの記事では伝えたいと思います。

その前に、お雛様をめぐる私の母の切なる思いを聞いてください。

流しびなに込めた母の思い

母は今、老人ホームで寝たきりになって話すことができません。
重い認知症で、体も動かせない母は、ひな祭りを前に何を思っているのか…・

男の子二人の家庭で、
母は元気な時、なぜかお雛様に大変こだわっていました。

鳥取県用瀬町の伝承行事「流し雛」と母の思い

私がまだ小学校のころです。家族で鳥取に旅行に行きました。
土産物店に、鳥取みやげの「流しびな」がありました。
母はこれを買って大切に持って帰りました。

流しびなとは、
鳥取県に伝わる行事で、一対のひな人形を皿の上に乗せ、
無病息災を祈って海や川に流すという伝承行事です。

鳥取県用瀬町の「流しびな」のいわれについてはこのように説明されています。

「“もちがせの流しびな”は旧暦の三月三日のひなまつり、男女一対の紙雛を桟俵にのせ、桃の小枝と椿の花や菜の花を添えて、災厄を託して千代川(せんだいがわ)に流します。無病息災で1年間幸せに生活できますように願う情緒豊かな民俗行事です。
昭和60年、県無形民俗文化財に“もちがせの雛送り”として指定されています。
もともと物忌みの行事で、紙などで人形(ひとがた)を作り、これで体をなで、災いをその人形(ひとがた)にうつして川や海に流す行事から生まれた風習です。この行事がいつの頃から始められたのか、文献等の記録が少なく定かでありませんが、「源氏物語」に源氏の君が祓いをして人形(ひとがた)を舟に乗せ、須磨の海へ流すという著述があり、雛流しそのものの原型は、遠く平安時代にさかのぼるといわれています。
ここ用瀬には今日まで、時代の変遷と共に形を変えながらも、“もちがせの流しびな”として受け継がれています。」

(文・写真引用:鳥取市用瀬町「流しびなの館」公式ホームページ
http://nagashibinanoyakata.jp/publics/index/5/ )

「流し雛」を流さずに飾りたい

衝動買いのように流しびなを買う母に、
「お母ちゃん、うちは男ばっかりやのに、こんなの買ってどうすんねん。
流しびなやから、帰りに川に流したらええんちゃーうか」
と私は無神経に言いました。

母は、私の質問に涙を流してこう言いました。
「何言うんや!このお雛さんは床の間に飾るんや。
流してたまるか!!
うちにお雛さんがないから、せめてこれくらいは飾りたいんや。
流すなんてもってのほかや」

母が言うには、私には姉がいたそうです。
1月13日の夜、
姉は死産したそうですが、最初の子でおなかの中にいるときから
たいそう可愛がったそうです。
あの頃は救急助産体制がなくて、夜中に姉は亡くなったのです。
現在の医療では、当然助かったいのちだったのでしょう。
可愛い顔をしていたと言っていました。
名前も、墓もありません。
私はその話を聞いて泣きました。

母は泣く私にやさしくこう言ってくれました。
「お姉ちゃんは、真っ白な心のまま、
まっすぐに天国に行った。
今は守護の天使になって
おまえのすぐそばにいるんやで」
だからこそ、
流しびなを流すことなく
そばに置きたかったのでしょう。

いまは、寝たきりで言葉も話せない母ですが
せめてひな祭りが近づいたら、姉のことも祈りながら
ひなまつりの歌をオカリナで吹きます。

ひな祭りの歴史といわれ

母が流しびなを実家に飾ってから何十年もたちました。
因果なことに、
私は福祉施設の7段飾りのひな人形を、季節になったら飾り付け
終わったら片づける役目を10年以上行っています。

最初は苦労しました。
当時、もう子供はいないし、ましてや女の子を育てた経験もない私には
ちんぷんかんぷんで、

取説を見ながら飾り付けていましたが、わからないことが多く、
調べながらしていました。
取説のとおりにできたと喜んでいたら、
先輩職員から「お雛さんとお内裏さんが逆やで!」と叱られました。
どうやら、関東と関西では左右が逆のようで、
当地の風習に合わせるのが正しかったのでしょう。
それ以来、関西風に並べています。

いまでは、すっかり詳しくなりましたので
お雛様への思いとともに、わかりやすくご説明します。

3月3日 桃の節句の起源

3月3日はひな祭りです。
「桃の節句」というとおり、そろそろ桃が咲き、梅も咲き始めます。
私はひな祭りが近づくたびに花の香りを感じます。

もともとは「上巳の節句」といわれており、
その起源は中国で、厄払いや邪気祓いの行事であったと伝えられます。
藁や草で作った人形(ひとがた)で自分の体をなでて、
邪気や災厄をその「ひとがた」に移し、海や川に流す、
お祓いの行事に使われていたといわれています。

前述の鳥取県用瀬町の流しびなの伝統も、この
「ひとがた」の故事に則ったものです。

旧暦で三月上旬の初めの巳の日に行われていたといわれますが、
そのうちに3月3日になっていったようです。

巳の行事というと、蛇(ヘビ)ですね。

ヘビは寒い冬は冬眠していて動かないようにしていますが、
暖かくなると、冬眠から覚めて、脱皮して新しくなって
のびのびと春の陽気の中で生活します。

わたしたちも、過去のいろいろなことをお祓いして、
お清めして、新しく生きようという意味があったそうです。

ひな人形の歴史と意味

「ひとがた」として流されていた雛人形の意味は
時代とともに、変わってきます。
雛(ひな)は「小さいもの」「可愛いもの」という意味を持ち、
人形は流されるものではなく、慈しまれ、大切にされるものとなっていきました。
きっと、子どもを、家族を、慈しみ、
大切にするという思いが込められていったのでしょうね。
雛人形は、今日では、代々伝わり大切に保管され、毎年飾られる、財産のようなものです。

時代は江戸時代、
人形作りの技術が発達し、
人形は川に流すのではなく、家で飾るようになってきました。
節句の日取りも、「上巳の日」から、わかりやすい3月3日になり、
また、女の子の成長や幸せを願うお祭りになっていったそうです。

家によっては、母から娘に伝承され、嫁入り道具になっていったようで、
私の母の実家にも、それは豪華な漆塗り木造りのひな人形があり、
姉が生まれたら祖母が伝承に贈ろうとしていたようです。
悲しいことに姉は死産し、その後女の子は生まれなかったので
祖父母が亡くなってから行方不明になりました。
(ただ、家によっては、
雛人形は娘のの災厄を身代わりに背負っているので
伝承はせず、娘が成人したらお焚き上げなどの人形供養に出すなどして、
一代限りの家もあるようです。)

さて、次にひな飾りを
上段から順番に見ていきましょう。

ひな飾りを楽しもう

お内裏様とお雛様

最上段には、金の屏風を立てて
お内裏様(男雛)とお雛様(女雛)を飾ります。
ひな飾りの主役です。

私はお雛様の手に持つ扇、お内裏様の腰につける太刀に
いつも祈りを込めます。
この施設の子供たちが、扇のように優雅に過ごせますように、
病気や障がいなんかにめげず、この刀で強く守ってください、
そう祈ってきました。

なにか、
お内裏様とお雛様がこの思いに応えてくださっているようで、
飾りを見る施設の子供たちも、女の子も男の子もみんな元気でうれしそうです。

お内裏様とお雛様の間に飾るのは、桃の花です。
「桃の節句」と言われるとおり、桃の花には節句にまつわる意味合いがあります。
「桃」は、この季節に咲き始める花であるとともに、
故事には邪気祓いや魔除けに加えて、長寿の意味合いがありました。
子どもたちの上に災難がなく、そして、病気や障害があっても
健やかに、自分らしく、自己実現してほしい、
私は桃の花にそう祈りを込めています。

お内裏様とお雛様の左右はどちらが正しいのか?

ところで
「お内裏様とお雛様の左右が逆やん!」と頭ごなしに私が叱られた一件、
なぜなのか調べました。

両方とも正しく、根拠がありました。

古来の日本では、左に立つ人が高位というしきたりがあり、
男雛である親王さまは、お雛様の左(つまり向かって右)に飾っていたそうです。
京都をはじめ関西ではそのしきたりがそのまま用いられています。

しかし、関東でも、また製品の説明書にも、
通常はお内裏様が向かって左、お雛様が向かって右に飾るようにされています。
一般的な結婚式でも、新郎は向かって左、新婦は向かって右ですね。
これは、明治の文明開化以降、男性は右、女性が左に立つというマナーに合わせたことが始まりで
最初の即位式を挙げた大正天皇は西洋にならって右に立たれましたし、
現在の皇室の伝統でも天皇陛下が右、皇后陛下が左に並ばれています。
関東や一般的な並べ方では、日本の今日のしきたりに準じているようです。

だから取説通りに飾った私も正しいですし、
「逆やん」と叱った先輩も正しいです。
でも争いは、正しい者同士が起こすことが多いので
ここは私が折れ、当地のしきたりに合わせて、左右を入れ替えました。

お雛飾り二段目 三人官女

さて、二段目に飾るのは、「三人官女」です。
つまり、宮中にお仕えする女官さまたちですね。
真ん中の人がリーダー格で、眉を剃り鉄漿(つまり「お歯黒」)をつけた既婚者の姿です。
三人とも何かを持っていますが、
中央のリーダ格の女官さまがが島台または三方、
向かって右の女官は長柄(ながえ)、
左の女官は提子(ひさげ)を持っています。

お雛飾り三段目 五人囃子

三段目は、五人のミュージシャンで構成された雅楽のバンドです。
五人囃子(ごにんばやし)といいます。

音楽の種類は、能のお囃子(はやし)です。
向かって右から、謡(うたい)で、私の母方の祖父は伝承を受けて京都で謡っていました。
次に笛(つまり横笛)、そして小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、
向かって一番左が太鼓(たいこ)の順です。
飾りによっては、能囃子の代わりに「五人雅楽」の楽人の場合もあります。
向かって右から、鼓の一種である羯鼓(かっこ)、楽太鼓、
竹でできた独特の管楽器である笙(しょう)、
サックスのようにリードで吹く縦の管楽器である篳篥(ひちりき)、
そして横笛の順に並べます。

お雛飾り四段目 随臣

さて、四段目になってやっとお役人様の頭の登場です。
向かって右が左大臣で、白いひげを伸ばしたおじいちゃんの姿です。
階級は近衛中将と言われています。
向かって左は右大臣、こちらは若い武将ですね。
階級は近衛少将と言われていますが、白酒がお好きなのでしょうか?
「少し白酒召されたか、赤いお顔の右大臣」と歌われちゃってますよね。

お雛飾り五段目 仕丁

「仕丁」というのは
従者と護衛(あるいは衛士)です。

この従者や護衛、宮中の華やかな人々と違い、村や町にいる一般の人々なんです。

「なんで怒ったり泣いたり笑ったりしているんだろう・・・」
と飾りながら思っていましたが、
お仕えする庶民の人々は、思いもそれぞれということなんだろうなと思いました。

その起源は、奈良時代以前にさかのぼります。
これは住民を無報酬で働かせる、役務のようなものでした。
徭役(ようえき)といわれていたそうで、
大化改新後の律令制では,1里50戸につき2人,
中央官庁などに3年交代で雑役夫として勤務していたようですが、
食糧など一切は故郷の負担であったため、
かなりの負担となっていたようです。
全国から集まってきた人々は、人間らしくいろんな感情を持ちながら、
あれこれ談笑したり、時には悲しんで慰めあったり、
ケンカして仲直りしたりしたのでしょうね。

主に関東の飾り方では、向かって右から
立傘(たてがさ)つまり、日傘をかざしてお供する係、
真ん中が、沓台(くつだい)殿の履物をお預かりする係、
左が台笠(だいがさ)つまり、雨をよける丸い笠(かさ)を竿(さお)の先にのせてお供する係です。
関西地方では、向かって右から竹ぼうき、塵取り、熊手もって、
宮中の清掃の役目を表しています。

お雛に思う(まとめ)

こうして、雛飾り役を10年以上仰せつかって
もうすっかり詳しくなったわけですが、
これは 私に与えていただいた お雛様とのご縁じゃないかと思うんです。

男兄弟しかいなかった家庭に、母がお雛様を飾りたがったこと、
そして
幼い子どもも亡くし、女の子も育てたことのない私の無念
そんな悲しみも無念も忘れて
男の子女の子も忘れて、
いまそばにいるみんなが喜び、自分も喜べるように
お雛様を飾ろう
飾ったら オカリナを吹こう
そういう日々が続いてきたことには、感謝と思います。

お雛様に吹いたオカリナ演奏

そんなお雛様への思いを込めて
オカリナ二重奏で
ひな祭りの歌に引き続き、即興で創作演奏しました。

メインのオカリナは
板垣洋介さんの作られた土音(クレイトーン)で
オカリナ奏者の中原蘭さんが、きれいな桜模様を着色されています。
本当に暖かい桜の色の上に青空が配色されています。
まるで中原蘭さんのすがすがしい演奏が色彩になったようです。
姿もきれいですが音がとても心に響き、
無理を申し上げて買わせていただいたというエピソードがあります。

(中原蘭さんが彩色した、クレイトーンオカリナ アルトC

制作者は栃木の作家 板垣洋介さん。板垣さんが

蘭モデルとして、演奏家の中原蘭さんのセンスに合わせて作られ、

その中でもお気に入りを蘭さんが彩色されたもので、

このオカリナに一目ぼれしてしまった私は無理を言って分けてもらいました。)

バックのオカリナは鈴木のぼるさんの作品で
ひぐらしオカリナ松虫モデルです。
このオカリナも何とも言えない郷愁の音を奏でることができます。

(鈴木のぼるさんの作品 ひぐらしオカリナ松虫モデル

赤漆塗り アルトC :「松虫モデル」は比較的強い息でも

安定した音色を出せるように作られていますが、音色は繊細で丁寧です。)

この二本のオカリナで一人二重奏をしました。

ひな祭り オカリナ変奏曲です