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「君に何ができるか」と問いかけられ続けてきた子ども時代以来、「できたらいいね」と努力して、頑張って、そして「できなかった」時の挫折感、いっぽう、「できた」時は「できなくなるとき」への不安感にどうしようと悩んでいました。そして老人ホームにオカリナ演奏に行って、出会ったご利用者が涙を流して言われた言葉、「ここにいても、いるんやな。」この言葉を思いめぐらせたところ、とてつもない気づきに至りました。これからの時間の質を根本的に変えるパラダイムシフトです。第2話の本日は、この気づきをシェアします。

このとてつもない気づきを演奏に込めた、最近の動画がこちらです。

老人ホームでのふれあいの中で気づいたこと

ある日の老人ホームでのオカリナ演奏会。
その演奏会の場で
ふさぎ込んでおられたご婦人がおられた。

世話になり叱られるばかり、侮られるばかりと感じて
毎日の生活が苦しく思われていたのです。

そして、
一緒になって歌を歌って、

ご婦人がにこやかになられ、

「よかった。

わたしは
ここにいても、
こうして
いるんやな。
いるんやな。」

と言われた言葉に私はハッとしました。

私は今まで
「誰かの役に立つこと」を人生の目標にしてきたし、
「人より努力して
より役に立つ人間になること」
を生きがいにしてきました。

しかし、
努力が報われず
何の役にも立たないと人から言われた時
私は今までなんのために努力してきたんだろうか・・・

そのことを想像すると怖くて・・・

しかし、

「ここにいても、
いるんやな。
いるんやな。」

この言葉の中に
「いる」ことの意味が深く含まれていると気づかされました。

これまで出来ていたことができなくなる悲しみ

このご婦人は
これまでできていたいろいろなことが
できなくなり、

「特別養護老人ホーム」に入所してからは
世話をしてもらうばかりの生活になり
きっと自分の中で
こうつぶやいていた毎日だったと思います。
「なぜ生きる? 生きていたくない? 
いつまで生きなければならないのだろう?
そう思ってしまう。」

そんなご婦人が言われた一言
「わたしは
いる。」

この言葉には衝撃を受けました。

オカリナ演奏の席で
うつむいておられたこのご婦人に、

演奏を中断して少し話してみると
こう言われます。

「だあれもうちのこと、会いたがらへん。
 うちがいても喜んでくれる人、
 だあれもおらへん。
 生きていてもしょうがないけど・・・・
 ここでお世話になって・・・
 寿命が来たら静かにあっちに行くわ・・・」

よくお話を聞くと

若いころは、地域のために多くの働きをしてこられた方でした。
「認知症」になり
特別養護老人ホームにに入所して、家族の面会もほとんどなくなりました。

「面白くないんですか?」
「そうやな・・・おもろない・・・・」

はたして
「誰かに必要とされているかどうか」
が生きる面白さなのかどうか?
考えました。

何かが吹っ切れたとき

ところで、
私は幼いころから
学校教師であった父に
「勉強して、立派な仕事について、世の中に役に立つ者になれ」
といわれ続けながら成長しました。

そして
大人になって、ふたを開けてみれば
世の中の役に立つどころか、人に迷惑をかけるばかり。
私の目標は
「世の中に役に立つ」のではなく
「少なくとも人に迷惑をかけない」
になってきました。

しかし
どうしても人に迷惑をかけざるを得ない状況にもなりました。
どうしようか・・・・

しかし
この老人ホームでオカリナを吹いた日、
何かが吹っ切れました。

オカリナの音色とともに心行くまでみんなで合唱して
「ここにいても、
いるんやな。
いるんやな。」
と笑顔で言われた
先ほどのご婦人のお言葉です。

人生を変えるキーワード

このことばはまさに、
私だけではなく、多くの人の人生を変えるかもしれない
重要なキーワードだったのです。

これまで私が、自分の価値として思っていたこと
「必要とされている」
「役に立つ」
「何かができる」
「何かの価値を生み出すことができる」
「人に迷惑をかけずに暮らせる」

それが本当に自分の価値なのか?
人の価値なのか?

赤ちゃんはどうでしょう?
何ができる? 
笑ったり泣いたりできますが、
働いてお金を稼げるでしょうか?

(このスライドは、「エンパワメント」の説明用に私が作ったもので
人が皆生まれながらに持っている力を表現しました。
人権擁護研修などで講師としてお話する際に使っています。)

本当の価値は
「何かができる」「何かの役に立つ」「必要とされている」
のではなくて
そこにいること自体
本当の 
絶対に否定されることのありえない
価値だっていう
そんなあたりまえのことにさえ気づけなかった
そんな私が恥ずかしく思えました。

ご婦人が言われた
「いるんやな」
という意味。

それは
「わたしが 
いま
ここに
いること自体
本当に
大切で 価値のあることです。」

ということだったんですね。

すごす時間の「質」が変わるとき

「わたしが 
いま
ここに
いること自体
本当に
大切で 価値のあることです。」

このことに気づくのと気づかないのとで
生き方が変わります。

すごす時間の「質」が変わります。

時間の質が変わる関わらないかで
人生が変わります。

私は以前、ホームヘルパーとしてお世話をしていた90歳のご婦人から
「生きるってことは 愛だよ」
という言葉をいただきました。
その方は、自分ではご飯を食べることも動くことも何もできない方でしたが、
こう言ってくださったのです。

「生きるってことは、愛だよ。
愛に恰好なんかないんだよ。
明日に召されるいのちでも、
長く長く生きるいのちでも、
だれもあなたの代わりに生きられる人はいないんだよ。
そんなに大切なあなたなんだよ。
だから
このいのち、
生きて、
生きて、
生き抜こうね。
それが、愛だよ。」

この言葉と、
「ここにいても、
いるんやな。
いるんやな。」
という言葉がつながった時、

私の中で価値の大転換が起こりました。
過ごす時間の質が変わってきたと思います。

人は一人残らず価値を持って生まれてきた

私はこれまで
「何かの役に立てること」を
生きる目的にしてきました。

それが
「おまえは、もういらん」
と言われた時が何度もありました。

「きみは、もう、いらない・・・・」
生きる目的を失いかけたことがありました。

しかし
今思います。

「生きるってことは、愛だよ。」
「わたしは、ここにいても、いるんやな。」
この言葉がくれた
大きな意味。

世界に
価値を持っていない人はだれ一人いないんです。
言い切ります。
「世界に価値を持っていない人はだれ一人いません。」

自分は
何かができるからとか
何かについて評価されるから価値があるのではなく、

自分自身がいるだけで すばらしいことです。
素晴らしいことなのです。

生き方を変えてみる

「きみは何ができるか?」
と問いかけられ続けてきた、少年期以来の私。

しかし、
オカリナと付き合っていきながら
見えてきたのは、

「何ができるか」なんか関係ない
「きみがいることに ありがとう」
でした。

そのことに気づいてから
自分自身の見方が変わっただけでなく
まわりの人への接し方、
考え方が変わってきました。

何かができないから見下したりする、
そのような気持ちが心の隅に少しでもあるならば
人との豊かな時間を過ごせなくなります。

何ができようと、できまいと
好きな人であろうと、苦手な人であろうと
みんな
大切な人だから
一期一会の関りを大切にしたいと思います。
出会う人に心こめて挨拶しようと思います。

パラダイムシフト~「なる become」から「ある be」へ

これまでの自分は「なる(become)」世界の中にいました。

自分を比較し、
それに負けたら自分を憎む。
自分を卑下する。
いっぽう
人を比較し、
自分に負けた人を見下したり、
一方、よい意味では憐れんで助ける、

自分より勝る人に対してはうらやましがり、ねたみ、
よい意味では「まけじ」と頑張る。

そんな世界でした。

何かに「なれる」人は勝ち組で
「なれない」人は負け組。

でも
この世界からくるものは
不安とか、焦りとかばかりでした。

「なれなかったら」
負けてあきらめる、
それとも
なれるまで、頑張る。

「なれたら」
それが崩れる日を
不安に思う。

そんな次元にいて
幸せな時は一時もありませんでした。

幸せな時がないから
わたしと接する人々も幸せなはずがありません。

(このスライドも人権擁護研修で講師として話す際に使っているのですが
競争社会の中で、本来の自分が傷ついてしまっている状況を書いています。
森田ゆりさんの著書「ドメスティックバイオレンス 愛が暴力に変わるとき」の中の説明を参考にして作りました。)

そうした次元から

どんな時も
自分が自分であることに喜んでいられる、

どんなときにもその人がいてくれることに喜んでいられる、
すなおに喜んでいられる、

ありがたいと思える

そうした「ひかり」の次元に
自分の心を引っ越そう

そう思えるようになりました。

それは
そうしようと思った瞬間にできることなんですね。

そう。
簡単にできることなんです。

そのキーワードは
NOT ”BECOME” BUT ”BE”
 「なる」ことの価値から 「ある」ことの価値へ

なんですよ。

そうなんですよ。

「アメイジング・グレイス」の意味が心に落ちた。

NOT ”BECOME” BUT ”BE”
 「なる」ことの価値から 「ある」ことの価値

このことに気が付いて
今まで何度も吹いていたゴスペル
「アメイジング・グレイス」の本当の意味、喜びが
心に落ちたような気がしました。

聖歌「アメイジング・グレイス」の作詞者
ニュートン牧師は、以前は船乗りをしたり、
今では道徳的に許されない、奴隷売買のビジネスを手掛けていた人で

船員として乱れた生活をしたり
人生のどん底で辛酸をなめていたこともあり、
また奴隷運搬船の船長もしていたこともあり、
その人生は波乱万丈でした。

ニュートンは船乗りとしての前半生を通じ
嵐に遭ったり、
成功して有頂天になったと思えば転落したりの連続のなかで

少しずつ心の奥の声を聴くようになり
聖書に親しむようになり
また、乱れた生活に戻っては
また魂の奥の声を聴き、

そして「BECOME なる」ことの価値から
「BE ある」ことの価値を不動に見いだされて
そしてのちに牧師になり
涙を流して書いた詩
それが「アメイジング・グレイス」の土台になったということです。

ニュートンのこの物語を何度も読んで、
私が気付かせていただいた体験も思いめぐらせ、

もう一度心を込めてアメイジング・グレイスを吹かせていただこうと思いました。

私は数年前にもアメイジング・グレイスのオカリナ演奏動画を作っています。
ジャズ風にアレンジしたこちらの動画ですが、

最近、気づきを得て新たな気持ちで二度目に作った演奏動画
それがこちらです。

アメイジンググレイスの気づきはこれからも進化していくと思いますが
今後も時間の質が上がっていく中で、
演奏のクォリティーも向上できるよう吹き続けて行きたいと思います。