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先日手にした「古代出雲笛」。打出の小槌の形をしたこの笛を吹くと、何か不思議に懐かしい気持ちになりました。いつか、どこかで吹いていたような、そんな不思議な感覚です。おそらく、夢の中での体験や、それ以外にも説明のつかない不思議な体験の中で、この音色を吹いているんです。この音は、古事記神話の時代よりも昔から伝わる「常世の国伝説」と関係のある音じゃないかと直感しました。

「トコヨノクニ」に想像を馳せて、「古代出雲の笛」を吹きました。

異世界へ(詩 星咲繁博)

そこは
時間の流れも
人々とのふれあいも
日常の世界とはちがっていた。

でも
そこに行くと
そこでの思い出があり、
そこでの記憶があり
懐かしいと思った。

そこにはいつでも出入りできるわけじゃないけど
ふとした時にそこに迷い込んだら
とても懐かしくなった。

もしかしたら
生まれ故郷も
ふるさともなくしてしまった私に
神さまが下さった世界なのかもしれない。

もしかしたら
だれにでも
もう一つのふるさとがあるけれど
ふつうはそこに行けないのに、
神さまがときどき私に
そこでの経験を思い出させてくれるのかもしれない。

そこは確かにある。
あるけど
どこにあるかわからない。

そこでは
みんな優しくて
なつかしくて
思いやりあって
いたわりあって
温かく過ごしている。

でも自分でそこに行くことはできない。
たぶん
神さまが時々見せてくださるんだと思う。

不思議な世界の体験について

私の場合、
夢の中で訪れる世界の中に
「記憶の連続」がある場所が存在しています。

現実の世界とは違うのですが
自分がずっとここで住んでいて
そこでの記憶も
生活史もある
そういう場所があり、

この前行ったときは
あそこに行ったから
今度は違うところに行ってみよう
という、記憶の続きがあるのです。

どこかに行くときは歩いていくのではなくて
行こうと思うのです。
そうしたら移動しています。
会おうと思うのです。
そうしたら、その人と会って話をしています。

そこで出会う人たちは
現実世界での知り合いではなく、
亡くなった家族でもなく、
話で聞いたことのあるご先祖でもなく、
よく混沌とした夢の中に現れる「合成人間」でもなく、
実際の世界での記憶とは全く関係のない
その世界で一緒にいる人たちです。

しかも
あの人とはこの前こんな話をしたな
とか
久しぶりだな。しばらく会ってないな
とか
いつもの口癖だな
など
そこの世界での記憶が連続しています。

そして
私は現実の世界でも温泉好きですが、
その世界でもいろいろな温泉があって
野趣あふれる露天風呂があって
お気に入りの風呂が何か所かあります。

「この前はあそこの露天風呂に行きたいと思って目が覚めてしまったから、
今日はそこに行こう」など思っているのです。

たいがいこの体験は
睡眠中に起こります。

おそらく、深い睡眠中に起こっているんだと思いますが、
色彩も、嗅覚も触覚もはっきりあり、
それを
起きてから克明に覚えているのが
普通の夢とは違う特徴です。

夢の不思議

「夢」にはいろいろな種類があると思います。
体の不調や尿意・便意などによって誘発される
体と関係した夢

起きているときの記憶の整理や
感情の処理をするために脳が起こす夢、

睡眠によって体から自由になった意識が見る夢で
深層心理や潜在意識が作用している夢

など、
なぜ見たのか説明のつく夢は数々ありますが、

こうした説明がつかない夢も存在します。

おそらく、
生理現象や心理現象による夢だけではなく
「もう一つの世界」を睡眠中に実際に体験している
意識が実際に「もう一つの世界」に行っているという夢も
確かに存在しているようです。

このような体験をした人の話はほかにないか調べてみると、
やはりあるようで、

しかも、もっと不思議な話では
あちらの世界と現実の世界に関連性があって、
あちらの世界で警告をもらって
実際に目が覚めてから、
外に出かけるのを中止することで
大きな事故に巻き込まれずに済んだなどの話や

これから起こることが不思議にわかる、
仕事や研究でその先がわからず悩んでいたところに
先に進むヒントをもらう、
何かの発明や発見の手がかりをもらい、実際の世界で発明・発見をする
など

さらに
睡眠中だけではなく
強いストレスにあるときに、起きていながら、そのような体験をする、
瞑想などによって、自分でその体験をコントロールできる
などの事例もあるようです。

トコヨノクニ(常世の国)の伝説

このような異世界の体験について、
日本の古代以前の伝説の中に
「トコヨノクニ(常世の国)」の言い伝えがあります。

海のかなたにある理想郷で、そこでは老いることなく、
美貌がずっと続き、、
悲しみや苦しみがないと伝えられています。

それは古事記や日本書紀、風土記などの古文書に伝承されています。

例えば、日本書紀では
大国主のみこととともに日本の国の基礎をつくった少彦名神(すくなひこなのかみ)が、
国造りを成したあとに「トコヨノクニ(常世の国)」に帰ったと伝えられています。

また、あの有名な浦島太郎伝説のもとになった一つと思われる「万葉集」には、
高橋虫麻呂という歌人が詠んだとされている「浦嶋子」の歌があり、
浦島子が漁に出て、七日帰らず海を漕いで常世に至り、
海若(わたつみ)の神の宮に神の乙女とともに住んだといわれています。
つまり、「竜宮城」のモデルとなったお話でしょうね。
そこでは時間の流れがゆっくりで、
老いもせず病気もせずに暮らしたが、
元の自分の家に帰ったら、時間がものすごく経っていて、
元の家はなかったというのです。

こうした記紀から考えられることは
「トコヨノクニ(常世の国)」では、時間の流れが違い、
日常世界の物理的法則ともちがうことです。
そしてそうした世界を垣間見ることがあるということです。

この詳しい仕組みについては
西洋では
リードピーター司教や、スゥエデンボルグが詳しく体験をもとに研究しており、
著書も多数出されていますが、
この場では話がそれますので次の機会にします。

想像を膨らませる楽しみ

こうしたことがなぜ起こるかということよりも
不思議で美しいつながりが
目には見えなくても私たちの周りにあるという
想像とロマンを膨らませることじゃないかと思うのです。

そしてその世界は
いつも私たちを見守っていて
困った時にヒントをくれたり
疲れた時に、眠っている間に安らぎをくれているに違いない。

そう想像すれば
その世界がより近しくなっていくような気がするのです。

その世界は
いま現実に生きている私たちの世界に寄り添っていて
生きる勇気を
知らないうちに送ってくれているのに違いない
そしてそこからいただく、新鮮な癒しを
いつも受けられるように
心を清く明るくできたらいいな。

そう想像して
古代出雲の笛を吹きました。