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前回の記事では、聖歌「いつも喜んでいなさい」をめぐって、そこに込められた聖パウロのテサロニケの人々への手紙の言葉についてお話しました。今回の記事では、私がまだ少年のころに出会った牧師さんからいただいた「あなたはすでに赦されている」という聖パウロの手紙の言葉と、その後20年以上経って出会った方からいただいた言葉「生きるってことは、愛だよ」というメッセージがつながったこと、それがまさに、スティーブ・ジョブス氏が話した「点と点がつながる」ことだった気づきについてお話します。

聖パウロのテサロニケへの手紙よりも強力なメッセージとは

聖歌「いつも喜んでいなさい」
オカリナで二重奏したこの曲です。

この曲の中に歌われている言葉は、
貧困と迫害に打ちひしがれていたテサロニケの人々に送った
パウロの手紙の言葉です。

そこには
「いつも喜んでいなさい。
たえず祈りなさい。
どんなときにも感謝しなさい」と書かれていました。

それは
人生の中で、どのような過酷な出来事が起きようとも、
絶対に消えることのない喜びを見失わないように、
そして、どんなときにも共にいる神に話しかける心を忘れないように、
苦難を極める状況の真っ最中でも、あえて感謝をするように、
と、
想像を絶する強力なメッセージでした。

そして、さらにパウロは
数々の手紙の中で、現代に生きる私たちを勇気づける
もう一つのメッセージを残しています。
このメッセージは私にとって
生涯忘れられないメッセージであり、今も生きる力になっていますので
ここにご紹介します。

パウロのもう一つのメッセージ「今ここにいることが、すでに赦されていること」

受験生時代のつらい記憶

私は受験生時代、
ひどい心の傷を背負って
サイクリング自転車に乗って、
どこへ行くともなく放浪の旅をしていたことがあります。
途中で小遣いが尽き、野宿をしたりしながら、
どうにでもなれと捨て鉢になっていました。
細かいことは記憶から飛んでしまい、
どうやって生きていたのか覚えていません。

誰かから傷つけられた心の傷よりも、
自分自身を、自分が赦せないこと、
生きていることが罪悪と思うこと
そういう感情にさいなまれていて、
その感情が炎のように自分を攻め立てていました。

そんななかで
空腹と疲労で、これ以上自転車をこげないと思った時に
たまたま偶然に目に入った教会に転がり込みました。

あのときは
「キリストのありがたみも、くそもあるか!」
と思っていて
すべてを呪っていましたが
そんなこと考えている余裕もなく
どのようにして転がり込んだのか覚えていませんが、
教会の中で倒れ、牧師さんに看病してもらいました。

その教会がどこにあったのか、今は思い出せません。
確かプロテスタントの教会で
牧師さんが私のことを「兄弟」と呼んで温かくお話をしてくれました。

心を激しく打ったパウロのメッセージ

牧師さんは、私に新約聖書にある聖パウロの手紙を音読してくれました。
それがどの部分だったのか、今でも見当がつかないのですが、
「あなたがたは、今生きていることが、愛であり、
すでに赦されている証である」という内容でした。

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音読を終えて牧師さんは、
私に向かって静かに、優しく口を開かれました。

「生きているという事、
今ここにいるという事はどういうことでしょうか。」

私は
「わかりません」と答えました。

牧師さんは言われました。
「いま、何かを思い、体を動かし、口を動かすあなたがここにいる、
ここにあなたがいるという事ですね。」

私はひねくれながら答えました。  
「そうです。いてはならないぼくが、ここにいるということです」

「そうでしょうか。
今あなたがいること、生きている事は、
もうすでに赦されているという事じゃないでしょうか。
神の赦しとは、
何か償いをしたから許されるというのではない。
もう、はじめからあなたは赦されている、
それほど深いものなんですよ。

あなたは自分自身を、自分が赦せないという。
しかしね、
神の赦しはもっと深いものなんですよ。」

私はうなだれていたと記憶しています。
牧師さんは、私の肩に手を置き、こういわれました。

「あなたが生きていること、それは愛されていること。
神はあなたを愛しています。どんな時も。」

生きていることは、愛していること

しかし私は、吐き捨てるように言いました。
「その言葉は、ぼくは聞きあきました。」

「聞きあきましたか。
本当の事だから何度もあなたの耳に入ってきたのではありませんか。

それに、・・・

あなたが生きている事、生きること、
それは愛している事ですよ。」

私はそれでも、吐き捨てるように言いました。
「だれをですか。
私は誰からも愛されていません。
それに、もう誰も愛しません。」

理解を超えた「時間」の秘密

なぜだか穏やかでゆっくりした時間が流れていました。
牧師さんは、穏やかな表情で、優しくこう問いかけました。

「時間という事をご存知ですか?」

「そんなの知っています。」私。

「過ぎた事、それはあなたの記憶に残っている。
それはあなたが目にし、耳にした事だけ残っている。

しかし、あなたが目にしないもの、
耳にしないものはあなたの記憶に残っていませんね。」

私は牧師さんの言葉を拒否するように言いました。
「そんなの、当たり前です」

牧師さんは優しく続けられました。
「今起こっている事、それをすべて言う事はできません、
当然ですね。

まだ起こっていない事、これから起こること、
それはあなたの記憶にはありません。

それほど、人は時間の中ではほんの少しの事しか知らないのです。」

「どういうことですか。私にはわかりません。」(私)

牧師さんは優しく答えました。
「わかる必要はないでしょう。
学者すら分かりません。
しかし、もしすべての時間、すべての空間の出来事をあなたが知ったなら、
あなたはどれほど多くの人を愛し、
どれほど多くの人から愛されているでしょう。

その愛は、あなたがここにいることから始まっているのではありませんか。」

私は、今度は話の続きを聞きたくなって、牧師さんに聞きました。
「今、ここにいるということでしょうか。」

「永遠の今」~「今ここにいること」から続く過去未来

牧師さんは、優しく、確信に満ちたまなざしで答えました。
「そうです。
すべては、今、ここにいるあなたから始まっています。
あなたが大切に思ってきた人、
生きている人も、
もう亡くなられた人も、
一人ひとり思い出してみなさい。

あなたはこれまで、多くの方を愛してきましたね。

これから出会う人、
もしかしたら、
あなたをかけがえなく必要とする人に出会うかもしれない・・・
まだこの世に生まれていないが、
これから生まれてくる人も含めて…
どんな人と出会うだろう…
あなたは言えますか?」

私は当然のことのように答えました。
「わかりません。まだ会っていない人、
まだ生まれてない人について知っていたら
魔法使いじゃないですか。」  

牧師さんは、さらに答えました。

「わかりませんね。
あなたが今、生きてここにいるってことは、
これから未来のあなたと、
あなたに出会う人との愛ですよ。

ここにいること自体、
あなたは未来の人々を愛しているってことじゃないでしょうか。

いて下さいね、い続けてくださいね。
生きてるってこと、今いるってこと、それは、愛ですよ。」

牧師さんがこう言われたところで
私は何かが込みあがってきて
わあーッと泣き叫びながら言いました。
「おれは、なんにもしてないですよ。
何の役にも立ってないですよ。
大学受験にも失敗しました。
家出もしました。
そんなおれに、愛なんてできっこないんです」

牧師さんは私の肩に手を置きながら
私にこう言ってくれました。
「何もしなくていいんだよ。
今ここにいてくれていたら、それでいいんだよ。
それほど大きな愛があろうか。」

そして私の手を握り、こう祈られました。
「おお主よ、
きょう、ここで、繁博兄弟と出会いました。
それほど大きな愛はありましょうか。
感謝です。主の愛に、感謝です。」

「生きてるってことは、愛・・・愛ですか・・・」
「そうです。そうですよ。」

「点と点がつながる」こと(スティーブ・ジョブス)に気が付いた

あれから
何十年もたって、
私はホームヘルパーになって
90歳の方に出会い
「生きるってことは、愛だよ」という言葉をもらいました。

あのときには、想像すらしなかったことです。
いろいろなことがあって
なぜか20年以上たって、想像もできないいろいろなことがあって、
それらも過ぎ去って、そして
「生きるってことは、愛だよ」という言葉をもらいました。

マッキントッシュの創始者スティーブ・ジョブスが
スタンフォード大学の卒業式で話したスピーチは有名ですが、
その中に「点と点がつながる」というお話がありましたね。


(スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学でのスピーチの有名な動画です)

大学在学中に進級でず中退したスティーブ・ジョブスが
失意のうちに、ぶらぶらしている中で、
ひょんなことからカリグラフィーの教室に通うわけですね。
そのときは、何の意味もなくカリグラフィーを学んでおり、
スティーブ・ジョブス自身もそれに何かの意味もビジョンも持っていなかったわけですが、
その何十年ものちに
スティーブ・ジョブスは「フォント」という概念を発明し、
それがマッキントッシュ、いや、今日の世界のテクノロジーの基盤になった。

何の関係もないように見える出来事が
未来になってつながり、意味を持つ。
そのことをスティーブ・ジョブスは
「点と、点がつながる」と言っています。

あのころ、
20年以上先の未来に出会うことになっている
90歳のご婦人のことについて
私は知るはずもありませんでした。

その意味について知るはずもないできごとと
全く関係のない出来事が
未来になってつながって

それが意味を持つんだなと、今になって改めて思いました。

全能の神に不可能なたった一つのこと

この記事であげた聖パウロの手紙になかにあるメッセージ
「いま、ここにいることが、すでに赦されている証」
そのメッセージからさらに、私自身が気付いたことがあります。

これはものすごい気づきなので、この記事の場であなたにシェアしたいのです
それは、
全知全能の神に不可能なたった一つのことです。

神は全知全能と言います。
神にできない事は何一つないと、聖書には記されています。
しかし、そんな神に、たった一つできない事があるんですよ。
何だと思いますか?

それはね、
あなたと一緒にいない事です。
神にはその事が出来ないのです。

神は、いつもあなたと一緒です。
どんな時も、どんな場所にでも。
いつも、一緒です。

受験に失敗したころ、ふらっと入った教会で出会った牧師さんが音読してくれた
聖パウロの手紙。
それがどの部分だったのか、その教会がどこにあったのか、
今でも見当がつかないのですが、
「あなたがたは、今生きていることが、愛であり、
すでに赦されている証である」
このメッセージは
あれから20年以上後で出会った90歳のご婦人からいただいた言葉
「生きるってことは、愛だよ」とつながって、
今日も私の中で生きています。

牧師さんが、
再びサイクリング自転車で旅立つ私を送るときに下さった言葉を
記事の締めくくりに記させてください。
「そのままでいいから・・・
信じられない時は信じられないままでもいいから・・・・
いて下さい、い続けてください。
あなた自身を決して粗末にせずに、
ご自身を大切にしてくださいね。」

あれから20年以上経って、
オカリナで演奏した聖パウロの聖歌「いつも喜んでいなさい」
オカリナで二重奏しました。聴いてください。