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聖歌「いつも喜んでいなさい」は、とても美しいハーモニー合唱曲で、この曲をオカリナで多重奏で吹くと、本当に綺麗です。この記事では、この美しい聖歌とそこに込められた聖パウロの驚愕すべきメッセージをご紹介します。

ゴスペル「いつも喜んでいなさい」

本当に魂に響く、美しいゴスペルがあります。
「いつも喜んでいなさい」という聖歌で、

四重唱で合唱するととても美しいハーモニーになります。
私はいつも、テノールのパートを歌っていますが
それぞれのハーモニーが生かしあっているという感じがあり、
各パートがお互いに引き立てあっているんです。

これをオカリナで表現できないものかと思い
一人多重奏をしました。こちらの動画です。

歌詞は以下のとおりです。

「いつも よろこんでいなさい

たえず いのりなさい

どんなときにも 感謝しなさい

主イエズス・キリストは

いつも いつも

わたしたちとともに いてくださる

いつも よろこんでいなさい

たえず いのりなさい

どんなときにも 感謝しなさい

主イエズス・キリストは

たえず たえず

希望の光を 注いでくださる

いつも よろこんでいなさい

たえず いのりなさい

どんなときにも 感謝しなさい

聖霊の 働きを 消さないように。」

聖歌「いつも喜んでいなさい」の由来と背景

それでは、この歌の説明をします。

迫害と貧困の中にあるテサロニケの人々に宛てて

この曲は
ローマ時代の聖人パウロが 
ギリシャ地方のテサロニケという町の人々に
送った手紙のなかの言葉を歌にしたものです。

手紙の本文は以下の文章です。

「いつも喜んでいなさい
Be joyful always

たえず祈りなさい
Pray continually.

どんなときにも、感謝しなさい。
Give thanks in all circumstances,

これが、キリスト・イエスにあって、神があなたに望んでおられることです。」
for this is God’s will for you in Christ Jesus.

(新約聖書 パウロのテサロニケへの第1の手紙より
第5章16~18節)

当時、テサロニケ地方でこの手紙を受け取った人々は、
貧しさや迫害が続く中で非常につらく苦しい境遇にあり、
「よろこび」や「感謝」という言葉からは想像もできないひどい状況でした。

また、パウロ自身も、
伝道の旅の中で何度も嵐に会ったり、
投獄されたりし、最後はローマで処刑されましたが
こうした苦しい旅の中でパウロは、
キリスト教が伝わったばかりの地の人々へ
手紙を書きつづけました。


(聖パウロを描いたレリーフ)

そんな中で贈った言葉が
「いつも喜んでいなさい」
でした。

当時のギリシャ地方テサロニケの社会情勢

手紙の宛先であるギリシャ地方のテサロニケは
かつてはアレクサンダー大王が君臨したマケドニア王国にある大都市でした。
そして、
パウロはエーゲ海を渡って
このマケドニアにキリストの教えを初めて伝えました。


(ギリシャ地方にあるテサロニケの町並み)

しかし、テサロニケはギリシア文化の影響が色濃く残っていた土地であり、
キリスト教徒たちに対するいじめや迫害が絶えず、
パウロの伝えたキリストの教えを信じた人々は、
地域社会で少数派であり、常に不安と苦しみの中で暮らしていました。
そのようなテサロニケの人々対してパウロは、
「いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する」
ように勧めました。

パウロ自身も、自らへの迫害に屈することなく、
獄中にあっても手紙を書き続けました。

このように
「いつも喜んでいなさい」のメッセージは
喜びとはほど遠い状況の中で送られた言葉だったのです。

苦しみの中で書かれた手紙に込められた驚愕のメッセージ

パウロは
この手紙を、想像を絶するような苦難の真っ最中に書きました。

だからこそ、この言葉の中に
ぜったいになくなることのない
私たちのうち、かき消されることの絶対にない喜びがあると
私は感じるのです。

「いつも喜んでいなさい」というのは
「自分の内にある、
消えることのない喜びを
決して見失わないようにしなさい」
ということだと思います。

それは、
どんなにつらい境遇にあっても、
どんなにみじめな状態にあってもです。

そして
「たえず祈りなさい」は
どんな状況の中でも
どんな環境の中でも
パウロのように鎖でつながれて獄中にあっても
「神」はすぐそばにいて、魂の内にもいるので
神に心を向け、語り掛けなさいということでしょう。
「たえず祈る」ということは
「たえず祈りを聴いてくださる方がおられる」という意味であり、
「神」との対話は、
どんなに重い鉄の扉も遮ることはできないという意味でしょう。

そして、
「どんなときにも、感謝しなさい」
という言葉は
ほんとうに
「どんなときにも」です。
時には
感謝なんかとは、ほど遠い状況にこの身が投げ込まれることもあるでしょう。
運命を呪いたくなる、
感謝なんかとてもできない状況になることもあるでしょう。
それでも
「感謝しなさい」とパウロは徹底的に伝えているのです。
辛い出来事、涙を絞り出すような出来事が起こっている
まさにその、真っ最中のそのときに
私たち人間には理解できないほどの、
計り知れない
大きい大きい神の愛に
胸をいっぱいにしなさい、
泣き叫ぶ声の向こうに、感謝の涙を絞り出しなさいと
パウロは伝えているんです。

「よろこび」
「いのり」
「感謝」は
私たち人間が想像できるような
条件付きのちっぽけなものではない。

絶対に滅びることのない
とてつもなく深くて大きなものなのです。

誰にでも平等に訪れる「気づきの日」に向けて

だからこそ、
私は思います。
この歌は
クリスチャンの歌だけにとどめたくない。

だれでも
私たちそれぞれの 心のうちには
ぜったいに消えない 喜びがあります。

それに気づく日は 必ずあります。
どんなに日々がつらくても
「気づきの日」があります。

人間、
生きているいのちのうちに、
この「気づきの日」は平等に訪れます。

そして私は、「気づきの日」のきっかけを
この歌から伝えたい。

だからこそ、私は
命ある限り
オカリナを吹きつづけようと思っています。

オカリナ二重奏「いつも喜んでいなさい」です。