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先日、大阪府北摂地区を中心に大きな地震があり、私の親族も含め、多くの人が突然の苦しみを背負うことになりました。こんな時だからこそ紹介したいお話があります。「それでも、生きなさい」といつも諭してくださった、私の亡き剣道の恩師のお話です。恩師は、「もうこれ以上生きられない」と感じるつらい体験を少なくとも3度通ってこられました。そして私たちにいつもこう言ってくださいました。「それでも、生きなさい。」今日はこのお話をします。


(どんな土の上に落ちても、それでも生きる雑草の芽のように)

それでも、生きなさい

私は10歳でオカリナを吹いて以来、40年になりますが、
それと同じく武道に親しんできたことも長く、
10歳で剣道を始め、20歳で合気道を始めて、
武道にはかれこれ40年取り組んでいます。

その中でも、私の剣道の恩師のお話をさせてください。
もう恩師はご逝去されましたが、
恩師がお話しくださった訓話は、
必ずあなたに何かの貴重な気づきをもたらしてくれると思うので。

「それでも、生きなさい。
病気になったら、チャンスと思いなさい。
どんな状況の中でも、自分に何ができるか考えなさい」
恩師がよくおっしゃっていた言葉です。

恩師と剣を交えたのは、私が20代のころで、
もう恩師はかなりのご高齢でした。

そんなご高齢の恩師と正眼の構えで私は剣先を交え、
そして私はがんじがらめにされたのです。

そのころの私は
出ばな面の飛び技と、急潜行での抜き銅を得意技としていたのですが、
恩師の構えは、私のすべての心の動きを見透かしておられました。

恩師は生前の訓話で、
「それでも、生きなさい。
病気になったら、チャンスと思いなさい。
どんな状況の中でも、自分に何ができるか考えなさい」
と諭してくださいました。

恩師は
もう生きられない、それでも生きる
という状況を少なくとも3度、通ってこられました。
そのお話をさせてください。

沈みゆく戦艦武蔵から生き延びて

救命胴衣が足りない

一つは、戦艦武蔵が沈没した時のお話です。
恩師は、海軍主計大尉(つまり、経理補給担当の将校)として戦艦武蔵に乗り組んでおられました。
戦艦武蔵と言えば、戦艦大和に次ぐ巨大戦艦です。
この武蔵が米軍の攻撃を受け沈没しました。


(写真引用:http://kochi.michikusa.jp/newpage1820.htmlより)

沈没の時、乗組員は限られた救命胴衣を着て船外に避難しますが、
恩師には救命胴衣がありませんでした。
恩師はあの時、お国のために、ここで命をささげようと思われたそうです。

この命は私一人のものではない

一人の下士官が、恩師に自分の救命胴衣を譲りました。
戦艦武蔵には、ものすごい人数の乗員がおり、その下士官がだれなのか面識がありませんでした。
沈みゆく武蔵の甲板で、下士官は恩師の手を握り、こう言ったそうです。

「生きてください。あなたには使命がある。これをお守りに。
私のことは心配なく。私も生き抜きます。」
渡されたお守りは、十字架のついた数珠のようなもので、「ロザリオ」と呼ばれるものでした。
その下士官はクリスチャンだと分かったそうです。
恩師は、初対面の下士官から譲られた救命胴衣を着て、ロザリオを大切に持って
生き延びられたそうです。

そのときこう強く思ったと話されました。
「この命は私一人のものではない
どんなことがあってもこの命を大切にしなければならない」と。

終戦の日に自決をせずに行ったこと

敗戦の絶望に打ちのめされて

もう一つのお話は、第二次世界大戦終戦の日のことです。
戦艦武蔵から生還した恩師は、海軍の司令部で経理や後方の事務処理を担当していたそうです。
ラジオ放送が鳴りました。
「たえ難きをたえ、忍び難きをしのび・・・」
昭和天皇陛下おん自らの声で
敗戦を決意し受け入れる旨を国民にお伝えになられた
玉音放送でした。

戦争は敗北で終わりました。


(写真引用:ウィキペディア)

このとき、何人もの将校が、司令部から中庭に出て、自決(つまり、自ら命を絶つ)されたそうです。
中庭では、「天皇陛下万歳」の叫びとともに何発もの銃声が響いていました。

天皇陛下のために何の役にも立てなかった。この命は死してお詫びするほかはない。
恩師も、自決しようと中庭に出ました。
しかし、誰かがこう言ったそうです。
「戦争に負けたからこそ、やることが多くある」

戦争に負けたからこそ、やることが多くある

「戦争に負けたからこそ、やることが多くある」
この言葉にはっとした恩師は、
自決を思いとどまったそうです。

戦争に負けたのち、戦後処理という膨大な作業があります。
いくら負けたからといっても、戦死した人の家族の生活をはじめ、
日本の国のこれからをどう守っていくのか
これは、戦死せずに今生きている恩師たちのするべきことです。
占領軍が何をするかわかりませんが、
占領者のなすがままにされてはならない。

恩師は、司令部に残っている膨大な文書や事務書類を整理しました。
こうして、いつどこでだれが戦い、戦死し、家族はどうなっているのかなど
膨大なデータがうやむやにならないように、守りました。

自決なんかしたら、このことはできません。
生きているからこそ
できることだったのです。
恩師はその作業をやりぬかれました。

「生きているからこそ
できることがある。
それに気づきなさい。」

恩師はよくこう語られました。

最愛の家族の命を目の前で奪われて

そしてもう一つ。

語ることも惨いことです。
警視庁の上級幹部になられてからの出来事です。
このことについて、恩師は何も語りません。

訓話の中にもこのお話は一切出されません。

しかし、語らないからこそ、
恩師の、「それでも生きる」という信念が伝わってくるのです。
この壮絶な経験をされても、私たちに剣道のけいこをつけてくださる
そのお姿から強く拝察されるのです。

それは
恩師の自宅に小包が配達されたときのことでした。
小包を開けた奥様が、爆発によりバラバラになって亡くなったのです。

小包に爆弾を仕掛けるという卑怯な手口で、過激な組織による犯行でした。

きっと恩師は
もうこれ以上生きられないと思われたに違いありません。

自分が生死の境にあったこれまでとは違い
最も愛する家族を奪われた、
しかも最も残酷な
酸鼻を極める形で奪われた気持ち、
想像を絶すると思います。

しかし、恩師は
復讐の鬼にならず、
自分の人生を捨てず、

その後何年もたって
私たちに剣の道を教えてくださいました。

真の武人は、真の紳士なり

だからこそ
「真の武人は、真の紳士だよ」と言われる恩師の言葉は
心にずっしり響きました。

そう。

どんなにつらい状況に陥っても、
最愛の人を亡くしたとしても、
このいのち
生きて
生きて
生き抜く。

それも、
紳士として、自分のなすべきことをなす。

(「紳士」というのは、必ずしも男性を意味する文脈ではなく、
理性を持っている人、
相手を尊重して優しく接することのできる人
という意味で使われていたと思います。)

恩師が生涯をかけて教えてくださったことです。

私があなたに伝えたいこと

恩師のお話を長々といたしましたが、
私はこのお話を通じて
あなたに
「それでも生きてほしい」と伝えたいのです。


(こんなところに芽が出るのと思うところに、野の草の芽を見つけたら、うれしくなります。)

あなたの身の上には
いろいろなことがあったでしょう。
もうこれ以上生きられないと思うこともあったかもしれません。

しかし、
それでも生きてほしいのです。

生きていて、できることがたくさんあります。
できることが見つからなくても、
答えがわからなくても、
それでもいいんです。

どんなことが起こっても、必ずこの先、
何かと何かがつながり、
生き続けた意味が分かるときが必ずあります。

だから、
「それでも、生きてほしい」のです。