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虹の詩を書きました。かなり以前のことです。船に乗り組んで、パナマ運河を超えて、カリブ海から大西洋を北上していたころ、ものすごい雨に見舞われて、その雨が止んだとき、大海原の上にこれまで見たことのない綺麗な虹がくっきり現れました。それは美しい虹で、はっきりした虹で、あたかもその虹をくぐれるとばかりに見えました。私は、船を全速力で進めてその虹をくぐりたいという衝動にかられました。その時に作った詩です。

詩「虹からの贈り物」

船に乗っていたとき
私は虹をとおってみたいと思った。
どんなに進んでも虹の真下を通れなくて
私はこれまで悲しかった。

でも虹は、私が波を切って進む前にあって
どんなに進んでも
過ぎ去ることなく前にあって
前に進んでいる私を
どこまでもどこまでも七色にお祝いしてくれているんだ。

だから
通れないことが
私へのやさしさ。
いつも夢を忘れないでという虹の思いやりなんだねと
やっと気づきました。

船に乗っていたとき
私はいつでも虹を見たいと思った。
それなのに
どんなに願っても虹が現れてくれなくて
私は悲しかった
でも激しい雨がやんだとき
くたびれた私の目に
虹がくっきりと映った
虹はまもなく消えて空の青さと同じになったが
私の心にはもういつも見えているんだ。

いつも見られないことが
私への信頼。
覚えていてくれるねと虹が信じてくれているんだと
やっと気づきました。

信じてもらっている私が
いまここにいることに
やっと気づきました。

虹を歌った聖歌があるんです

私は、オカリナで何曲も聖歌を吹くのですが、
聖歌の中に、虹を歌った聖歌があるんです。

素晴らしい聖歌です。

その聖歌は、子どものためによく歌われる聖歌で
「ごらんよそらの鳥」と言う歌です。

この聖歌の2番に空の虹が出てきます。

「ごらんよそらの雲
かがやく虹を

地に光の雨を降らせ
鮮やかに映える

どんなに苦しい悩みの日にも
希望をそそぐ父がいる

友よ
友よ今日も
たたえて歌おう
すべてのものにしみとおる
天の父のいつくしみを」

どうですか?
2番の虹の歌詞
心の励みになりませんか?

オカリナで演奏した動画はこちらです。
みんなの聖歌「ごらんよそらの鳥」~オカリナ三重奏

使用オカリナは、南大阪に工房のある板東正裕氏作、颯オカリナ ソプラノCを中心に
ハーモニーに 淡路島の瓦の土で作るオカリナ作家ともちひろし氏作
吟オカリナ アルトCと
同じく板東氏作の颯オカリナ アルトC を重ねました。

聖歌「ごらんよそらの鳥」に歌われるマタイの福音

この子どものための聖歌
「ごらんよそらの鳥」は、カトリックの典礼聖歌391番として、
よく教会のミサや、日曜学校などで歌われています。

私も、教会の子ども会や青年会などで、野外でよく吹いてきました。

この「ごらんよそらの鳥」は
マタイの福音書6章の言葉からとられた歌です。

マタイによる福音書 第6章 25節から34節にあるこのお話、
イエスが弟子に話されたお話ですが

「だから、言っておく。
自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、
また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。
命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

:空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
:あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、
寿命をわずかでも延ばすことができようか。

なぜ、衣服のことで思い悩むのか。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、
神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、
信仰の薄い者たちよ。

だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、
思い悩むな。
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。
あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。」
(新共同訳聖書より引用)

というお話です。

少しむずかしいですね。

今どきの言葉でいうと、こういうことだと思うんです。

「空を見上げてごらん
可愛い小鳥が飛んでる。
小鳥たちは自分で種まきや刈り入れとかをしないけれど
天のお恵みで養ってもらってるんだよ。

ほら、足もとを見てごらん
空き地に白いゆりの花が咲いてる。
このお花がどうして育つんだろうか?
お花は自分で動けなくても
天のお恵みをいっぱい受けて
白くきれいに着飾っている。
王様の豪華な着物よりも、もっとステキだね。

小鳥もお花も
だれに世話をしてもらっているわけじゃないけど、
天のお恵みをいっぱいもらって
今をいっぱい楽しんでいるんだよ。

だから、だから私たちも
あすこことや、きのうのことを
悩んだり怖がったりするのは
やめようよ。

きっと
気づかなかったお恵みが
いつも私たちに注いでいることに気が付いて
ありがとうって思えるときがあるよ。」

こういうことだと思うんです。

虹のお話から始まって
鳥のお話、野の花のお話にまで発展しましたが

この記事で一番伝えたいことは

どんな時も
希望をもとう、
何かが消えてしまうかもしれない、何かを失うかもしれないという不安にとらわれないように、
自分が抱いている希望を持ち続けて、
その希望を信頼して、
どんな時も先を明るく、先を明るく
たとえほのかな光の虹でも、その心の虹を見失わずに
生きて行きたいものです。

そういうことをお伝えしたいんです。